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お笑いの技術とナチュラル感

お笑いの審査、特に漫才において「練習量が見える」という評価をたびたび聞きます。
これが褒め言葉だということに、どうにも納得がいかない自分がいるのです。


本来、漫才というのは演芸として考えれば一般的に十分強の尺を使って行うものであり、自在に緩急をつけて客席の温度を操作しながら安定した笑いを生み出すのが漫才師の技能・仕事でした。
昔は漫才作家が台本を書いていたことからもそれは明らかです。

今では、漫才師がネタを書き、短い制限時間の中にいかに早くピークを作って保ち続けるかという争いが長いこと続いています。
もちろん、これだけ数多くいる芸人の中から面白い人たちをピックアップするには賞レースが必要不可欠であり、競技として成立させるには時間制限が必須であることは確かです。
しかし、練習でガチガチに固められて常に客席の緊張を必要とする漫才に対して「練習量が見えるから素晴らしい」という評価がされるのは、正しくないと思います。
「十回練習した人たち」と「百回練習した人たち」が同じくらい面白ければ、「十回練習した人たち」のほうが優れているはずです。

もう少し細かく言えば、実際の練習量に関わらず「練習量が見える」よりも「練習量が見えない」ほうが絶対にいいです。
練習量が反映するものは、連動感や硬さなどのマイナス要素が多いですから。
技術が評価されるのは大道芸や手品であって、同じエンターテイメントの中にいてもお笑いにおいては喋りのナチュラル感のほうが大事です。

このナチュラル感というものは、人によってギャップの大きい感性なのかもしれないと最近は思います。
技術的で最適化された漫才を見ると、僕はいつも人工的なにおいを感じて構えてしまいます。
簡単に言うと、笑い声が出なくなるのです。
その典型例がNON STYLEなのですが、彼らはどこでやってもドカンドカン笑いをとっていて漫才師のなかでもトップと言っていいくらいの地位を築いているのを見ると、疎外感を感じます。
お笑いを楽しむ能力において、自分が抱えている最も大きな欠陥だと思います。


今の時代、競技としてのお笑いと演芸としてのお笑いを分けて両方を楽しめる人間が一番の勝ち組なのかもしれません。

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