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いわゆるキャラクターもののお笑いというものは、主にネタ番組のスタジオコントで育ちました。
視聴者(主に子供)を強いインパクトで引きこむことができ、流行に発展しやすく、かつシリーズ化しやすいというのが主な要因だと思われます。
その一方で、賞レースを軸にしている現在のコント界でキャラクターコントは縮小しています。
お笑いというジャンル自体が厳しい状況の中、評価されるのは台本力や技術などが主。
一人の人間の異常性だけをクローズアップするコントは、どこか冷めている現代的な観客には通じない部分が多々あるように思います。
世界観をねじ曲げたり異常な空間を演出したりする最先端のコントよりはどうしても弱くなる上に、キャラの上にシナリオを乗っける性質上、台本の幅を大きく狭めることも弱点です。
出オチという言葉がマイナスに使われているのも、このような背景があってのことだと考えられます。
しかし、この出オチというものは制限時間に縛られがちな現代において非常に使い勝手のいい優秀な技術だと僕は思います。
キャラのプレゼンとツカミを瞬時に実行できることは、演者を知らない客を相手にする場合にはかなり強力な要素です。
「私がボケです」というメッセージとしても機能します。
これらの長所について考えて第一に受けるのは、やはり「古い」という印象。
演芸の基本、伝統的な技術を体現しようとしたとき見えてくるがキャラクターコントです。
そこを崩していくのが現代コントの常であり、そのような縛りを解いていくことこそコントの進化に不可欠なことです。
ここで問題にしたいのはネタの偏り。
例えば、賞レースにおいて十組中十組が最先端のコントを演じた場合、それぞれの先進性は必ずぼやけてしまいます。
そしてそれは、コントになじみのない客層であるほど顕著になります。
この現象が今まさに無視できないレベルの規模で起こっているのです。
僕自身、古いお笑いは嫌いです。
しかし、革新的な笑いを可視化するにはそれがどうしても必要で、その構図が目に見えて不足しているのが現状だと思います。
そういう意味で、進化と伝統の保守は必ず同時に行われなければならないと考えます。
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