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漫才におけるアドリブ感

漫才で大切なファクターの一つに鮮度があります。
もちろん、客にとっての鮮度はネタがバレている割合によって決まります。
しかし、演者側にとっての鮮度というものも重要です。
本人たちが漫才にどこまでリアルな熱を込められるか。
また、いかに自然な掛け合いや仕草、表情を表現できるかということです。


会話の自然さはボケの異常さとツッコミの説得力を増幅させ、漫才のレベルを格段に上げることができます。
しかし、これを武器にする漫才師は現在絶滅しかけていると言ってもいい状況なのです。
その原因は、ほぼ間違いなく「練習のしすぎ」です。
近年の賞レースは完成度とミスの少なさが評価される減点方式になっています。
演者は当然、一言一句間違いのない繊細な台本を書き、その実現のために必死で練習します。
このことでネタはガチガチに固められ、遊びがほとんど失われています。

かつて、その鮮度を武器にしていたのがアンタッチャブルでした。
僕は一時期、彼らについてずっと考えていた時期がありました。
確かにツッコミは非凡なものがあるが、オーソドックスな漫コンで決して突出したものを持っているわけではない漫才師がなぜこんなにも面白いのか。
結局、その理由はアドリブ感だと結論付けました。
事前に決まっているのは台本だけでひとつひとつの間もテンポも声量も舞台上で生まれたもののはずです。
そうでなければ、あの漫才はできません。


賞レースでの漫才に「ライブではもっとウケてたのに」と感じたことが、誰しもあるでしょう。
それは客層の違いに加えて、鮮度の違いもあると思うのです。
賞レース前なんて、それはもう死ぬほど練習するでしょうし。
アンタッチャブルですら、M-1決勝では少し固かったです。

ライブと賞レースでは場が違うのだから、と言われればその通りです。
しかし、ライブでのびのびと大爆発を起こしている漫才師を見るたびに、それをそっくりそのまま決勝でやれば優勝じゃないかとどうしても考えてしまうのです。
僕が個人的にそういう自由度の高い漫才が好きだということもありますが。


近年ではHi-Hiがその片鱗を見せ、三四郎などの鮮度抜群の漫才師も若干出てきています。
あとは、見る側にその耐性が付けばそういう人たちの時代も夢ではありません。

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