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ブラックマヨネーズに見るケンカ漫才の可能性

M-1グランプリ2005チャンピオン。
この肩書きすらも、ブラックマヨネーズの実力を示すには不十分であると言わざるを得ない。

二人の漫才の面白さについては、もはや議論する意味はない。
見ている側に演者のキャラクターなどの前知識を要求することもなければ、客層も選ばない。
台本そのものが面白いという、典型的な実力派である。
ここでは、その漫才の構成の妙に迫ることでケンカ漫才の可能性について考えてみたい。

彼らの漫才は、ボケツッコミの入れ替わりを起点として二部に分けられる。
前半は、悩み相談に対して示される小杉の提案に対し吉田が延々と苦言を呈し続ける。
ここでの見どころは、吉田のあまりに神経質な、しかしわずかな共感を含んだ絶妙にスケールの小さないちゃもんである。
後半からは、それによって追い詰められた小杉が無茶な案を提示し、吉田はそれに突っ込む。
注目すべきは、ここでのツッコミが根本をつくものではなく現実的かつ具体的な問題を挙げている点だ。
ボケとツッコミという役割の交代がありながらキャラクターはぶれず、かつ提案する側とされる側という会話における立場は変わらない。
客に違和感を全く感じされないまま入れ替えを行うこの手法はマジックに近い。
そのタネとしてもうひとつ挙げられるのが、ターン制を用いていることである。
一に対して必ず一を返すリズムの良い掛け合いの中に交代の瞬間を忍ばせることでさらに分岐を意識しにくいものにしている。

では、そもそもなぜボケツッコミの交代によって漫才が面白くなるのか?
それは、後半に小杉がボケるための必要条件が前半の吉田のボケによって満たされているからだ。
ある種類のボケが発生するための背景をあらかじめ示しておくことで、単独では突飛に思えてしまうボケに共感の力を乗せて成立させている。
これは本来コントで用いられる技術である。
面白いのは、そのボケの必要性を消去法によって発生させている点だ。
小杉のボケを直接的に導くのではなく、それ以外のまともな道をふさぐことで異常な提案をせざるを得ない状況まで追い込むという方式は、あの加速度的な漫才を生み出す核となっている。


ブラックマヨネーズの漫才の構成はケンカ漫才として完璧であるということは疑いようがないと僕は思う。
おそらく、ケンカ漫才という演芸には未知の可能性と呼べるものはほとんど残っていないのであろう。
そのことには、はっきりとした寂しさも感じる。
同時に、何十年後かにこのジャンルにおいて彼らを超えるような漫才師が現れるとすれば、そのときこそ革命と呼べるほどの進化がもたらされるのではないかと期待している。

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00 : 18 : 33 | お笑い | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑

男女漫才の構造とその強みについて

最近になって、男女コンビによる漫才で気持ち良く笑うことが多くなりました。
特に相席スタート、ゆにばーす、ヨコハマホームランが好きです。
いずれのコンビにも初見でガッチリつかまれてそのままハマっていく感じでした。
それは、やはり出てきた時点で「おっ」と思ってしまう特殊性が、男女というだけで十分に備わっているということだと思います。


ポイントになるのは当然ながら女性の扱い方です。
役割でいうとここに挙げたコンビでは全員ボケを担当しているわけですが、おそらく一部の例外を除いて「女性はボケ」という結論でほぼ問題ないと思います。
基本的な台本である以上はボケはツッコミの上位に位置して翻弄することになるわけですから、男性がボケだと殺伐としてしまいます。
女性が本気のトーンでつっこむと客が引くから、どうしても制限されますし。
やすよともこのようなアドリブ感とコミカルさを出せるなら別ですが、男女ではなかなか難しいと思います。

同じくらい大きな要素として容姿があります。
面白いのは三組それぞれの女性が上中下できっぱり分けられるくらい見た目が異なっていて、個々に絶妙な活用の仕方を心得て実践していることです。
ゆにばーすは最も古典的な見た目いじりであるものの、過剰になることなくネタのクオリティ前提の漫才をしています。
ヨコハマホームランは基本的に台本に女性の要素を盛り込んでおらず、キャラクターの補助・演出としてのみ利用していると言っていいでしょう。
この二組と違って、女性であることを主軸にして全編を作りこむのが相席スタートです。
女性を代表するにあたって完璧と言うほかない山崎さんの容姿と自己認識能力には、いつも感心させられます。
いずれにしても、現実ではほとんど見ることのできない男性と女性の会話の妙と深い掛け合いで痛快とも言える種類の笑いを生み出しています。
ここが肝であり構造の柱です。


面白い漫才を作るための近道のひとつとして、人格を軸にするという手法があります。
吉田さんの神経質で理屈っぽい人柄がブラックマヨネーズの漫才を生み出し、上田さんのいい加減な性格がHi-Hiの空気を作っています。
最近で言うと、三四郎やウエストランドは作品性すら放棄して人格だけでぶつかっていく漫才を行いメジャーになりつつあります。
その中において、性別というのは人格より前にあるものだと思います。
どんな人間も、その人である前に男、もしくは女であるわけです。
人としてのパーソナリティーよりももっと大きなくくりである性別を漫才に取り入れることが、他とは違う特別な笑いを生む方法として機能しているのかもしれません。


そして、その笑いの可能性はまだまだ残されているはずです。

23 : 04 : 20 | お笑い | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
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